まちの生い立ち

まちの生い立ち
五色姫物語

ホーム まちの生い立ち

まちの生い立ち

自主自立・民活のまち「郡中」・・・現代社会における大きなキーワード「民力」「地域主権」「住民自治」。公の支援を待つのではなく、自らの力を信じ前を向いて進む姿は、郡中の人々が祖先から受け継いだ気質です。歴史を振り返りながら、そんな郡中まちなかびとの自主自立の精神を学んでみましょう。

郡中まちなかの年表【2018年(平成30年)】

年 代郡中のできごと日本の主な出来事チェックポイント
1603年
(慶長8年)
現在の灘町周辺は、かつては牛飼が原と呼ばれた荒地だった。 江戸幕府成立  
1635年
(寛永12年)
灘町周辺は「御替地」として松山藩領から大洲藩領に変わり、それを機に大洲藩主は、上灘村(現在の伊予市双海町上灘)の豪商・宮内九右衛門と清兵衛兄弟に、この地区の開発許可を出した。   灘町他は民間(町方)が築いた町。商いの地を目指した計画都市で歴史がはっきりしている。郡中は港により栄えた町。
1636年
(寛永13年)
宮内兄弟は、私財を投げ打って開発に着手。当時では珍しい民活による町の開発が始まった。宮内家の屋号は、出身地の「上灘村」にちなんで「灘屋」といった。「灘町」の町名は宮内兄弟の出身地に由来する。    
1636年
(寛永13年)
  |
1796年
(寛政8年)
大洲藩は灘町などを「諸々御免地(しょしょごめんち)」として支援した。全国的にも珍しい間口・奥行きの大きい地割は、流通拠点都市づくりを目指したものである。100mにもおよぶ奥行きは、全国一とも言われた。   「諸々御免地」とは、土地に対する税や作物等の年貢など一切の税金を免除する地区のこと、現代で言えば経済特区。
  伊予灘は、西風突風などによる事故が多く、海上の難所だった。    
1812年
(文化9年)
大洲藩士・岡文四郎、豊川市兵衛らは町方と協議し、官民合同事業として、現在の伊予内港(萬安港(ばんあんこう))の築港に着手。工事は三期に渡り24年の歳月をかけて、1835年(天保3年)に完成した。これにより灘町は、現在の伊予市と周辺郡部との、流通・商業などの拠点として飛躍的な発展を遂げる。    
1817年
(文化14年)
御替地によって大洲藩領となった全域を、大洲藩主が「郡中(ぐんちゅう)」と命名する。    
1854年
(安政元年)
地震と津波により被災する。M8.4と伝えられる安政南海地震(安政の大地震)による灘町の被害は甚大だった。この地震以前の町の発展ぶりは、灘町界隈を克明に記録した絵図「郡中市陌浜辺図(ぐんちゅうしはくはまのべのず)」に今も残っている。 安政大地震 「郡中市陌浜辺図」は現在、伊予市立図書館に保管。よく絵を見ると現在の街がそのまま重なった状態で発展してきたのがよくわかる。
1868年
(明治元年)
明治中期頃まで町は目を見張る発展を遂げる。郡中財閥とよばれる富を蓄えた実業家群が生まれる。 明治維新  
1885年
(明治18年)
「寿楽座(じゅらくざ)」の創建で多くの人で賑わった。南山崎村唐川(現在の伊予市下唐川)の吉澤吉太郎が芝居定戸屋として創建。規模は現在の内子座の約1.5倍。庶民の娯楽の殿堂となる。   「寿楽座」は、当時の郡中まちなかの繁栄の象徴として多くの人を集た。
1886年
(明治19年)
郡中銀行の創立    
1894年
(明治27年)
南豫鉄道会社の創立
郡中誕生のいきさつを著した「郡中巷衛創業原誌の碑(ぐんちゅうこうくそうぎょうげんしのひ)」建立 
   
1896年
(明治29年)
郡中~松山に南豫鉄道開通(現在の伊予鉄郡中線)    
1897年
(明治30年)
伊予汽船会社は、新たに鉄鋼蒸気船、第5肱川丸(560トン)と伊予丸(726トン)を建造して、東京―鹿児島を航海し、各航海毎に郡中港へ寄港。
1900年
(明治33年)
南豫鉄道が資金不足に陥り、伊予鉄道に売却される    
1904年
(明治37年)
  日露戦争開戦  
1917年
(大正6年)
花かつをの製造がはじまる    
1930年
(昭和5年)
国鉄予讃線が開通(現在のJR 伊予市駅の開設)    
1945年
(昭和20年)
  太平洋戦争終戦  
1946年
(昭和21年)
  昭和南海地震  
1955年
(昭和30年)
郡中町、北山崎村、南山崎村、南伊予村が合併し伊予市が誕生する    
1958年
(昭和33年)
伊予港の完成    
1964年
(昭和39年)
寿楽座が解体    
1970年
(昭和45年)
  |
1980年
(昭和55年)
大型量販店の地方への出店が始まり、地域商業と全国の商店街の衰退が始まる   人口の増加や戦後の経済成長と共に発展を続けていた街が、1971年(昭和46年)頃より大型商業施設のオープンや消費者の消費動向の変化から少しずつ衰退の色合いが濃くなる。
1983年
(昭和58年)
灘町商店街で第1回ふれあい土曜夜市を開催    
1987年
(昭和62年)
伊予市商業協同組合創立。加盟小売業者・サービス業者の振興等を目的とする。    
1988年
(平成元年)
第1回-女性の祭典-五色姫復活祭の開催    
1991年
(平成3年)
大型量販店の出店を規制する法律が大幅に緩和され大型量販店の地方への出店が加速。地域商業と全国の商店街は急激に衰退する事となる。    
2001年
(平成12年)
伊予市中心市街地活性化基本計画の策定    
2002年
(平成13年)
中心市街地の活性化を目的に伊予市第3セクター・まちづくり郡中の創立    
2004年
(平成16年)
「JR 伊予市駅前 街の交流拠点 町家」開設。建物は、市街地の歴史を今に伝える灘町、湊町の伝統的町家の風情を模した。    
2005年
(平成17年)
伊予市、中山町、双海町が合併し伊予市誕生    
2006年
(平成18年)
伊予市商業協同組合がお年寄りに優しいまちづくり事業を開始(いっぷく亭開設)。    
2011年
(平成23年)
伊予市、伊予市商業協同組合、坊っちゃん劇場の主催により伊予市市民会館で坊っちゃん劇場「完熟一期座」による五色姫ミュージカル「人生いろいろ五色姫」が公演される。第23回-女性の祭典-五色姫復活祭において長年の懸案であった五色姫の命名が行なわれる。お名前は長姉から順に愛姫(赤色の衣装)、優姫(緑色の衣装)、陽姫(黄色の衣装)、豪姫(黒色の衣装)、雪姫(白色の衣装)と名づけられる。    

2012年
(平成24年)

灘町商店街で第30回記念 伊予市ふれあい土曜夜市が開催される。伊予市商業協同組合により「五色姫伝説~伝説が生まれた時代背景~」が発刊される。    

2013年
(平成25年)

伊予市100円商店街を開催。(主催:伊予市商業協同組合、共催:伊予市ふれあい土曜夜市会・いよしみなみ地域振興会)

2014年
(平成26年)

株式会社まちづくり郡中は、明治44年に伊予農業銀行郡中支店として建築され空き店舗となっていた建物を借り受け、まちづくり施設「郡中まち元気サロン 来良夢(こらむ)」を開設。

2016年
(平成28年)

えひめ愛顔あふれる商店街コンテスト2016で、伊予市商業協同組合の「あいマルシェin五色姫復活祭」が商店街部門で優秀賞を受賞。

2017年
(平成29年)

株式会社まちづくり郡中内 郡中200年祭実行委員会により「郡中二百年祭記念事業」が開催される。

2018年
(平成30年)

3月、株式会社まちづくり郡中内 郡中200年祭実行委員会により「郡中二百年祭記念事業報告書」が作成される。
「郡中まちなか」とは、JRの線路から西側(海側)の現在の灘町、湊町、米湊の一部、下吾川の一部を指す。
伊予市中心市街地の平成20年11月の人口は3,978人。灘町の開発に着手して370年余。郡中の呼称は本年で190年余となる。
まち情報

top